優秀でもその後が続かない社会

日本の社会は組織づくりが下手。これ、勤務医時代にいつも感じていた。
偏差値教育に似たところがあって、
あいつは頭がいい、優秀だ、というのは何によって決められているかといえば
ほとんどが出身大学であり、ある程度仕事をバリバリこなす結果を出すことで評価を上げると
なんとなく『優秀』という雰囲気がその人に出てくる。

しかしだ。そういう優秀な人材がいながら組織として成功している病院はまだ見たことがない。
一人優秀な人がいたところで、その力の7~8割程度の能力が10人いたらおそらく後者の10人の集団の方が組織力は単純計算で上だろう。

優秀な人材が後輩を育てて自分の能力の7~8割程度の力に引き上げることが難しいのだろうか。
それとも別のところでつまづいているのだろうか。僕は教えることもしていないし、別のところでつまづいていることもあると思っている。

というのも優秀な人材が後輩を教えているところを見ることがそもそも稀で教科書的なことを教えている場合がほとんど。『教科書に書いてあること』を教えることにそもそも意味はない。
ただ、現場には教科書的に書かれている内容も読んでいないような発展途上の医学生的な医師は多く存在する。優秀な人材は教科書に書いてあることは自分で勉強したら自分のようになれると言って教えたがらない。社会は学校ではないというのが彼らの言い分だ。

非常にもっともらしいが現実がそうなっていないのだから、そこで大きく突き放せば自分の壁の登り方を知らない多数が壁の前を右往左往している間に人生が終わる。そうなれば組織力はないに等しい。つまりは優秀な人材もそうでない人材もただの集団であって組織として戦う力がないと言っていいい。優秀な人材はそもそも医療が組織力であることをもっと自覚すべきだし、優秀でない人材は何とかして壁を登ろうとすべきだ。

では、優秀でない人材が優秀な人材くらいの能力を努力でなんとかしたら組織力は上がるのだろうか。実は僕はそうは思っていない。確かに誰が診療してもこの判断だよね!っていうレベルが引きあがるのだから優秀な人材が集まる病院はきっとある一定のレベルにはなっているだろう。しかしあくまで個人が優秀なだけだ。優秀なだけでいい病院になることができるのであればIQや偏差値の高い大学の医者を集めるだけでトップの病院に成れるだろう。

しかしきっとそうはならない。町医者を見ればわかるだろう。町の医者は偏差値が高くてIQが高い医者はいっぱいいるがそもそも患者を診る気がどれだけあるのか。
パートナーが咳が止まらないと言って町医者を受診したところ
・抗菌薬の処方
・喘息治療薬
・解熱剤
・去痰薬  を処方された。

情報を簡単に書いておくと、30代女性、生来健康、7日前から咽頭痛、5日前から湿性咳嗽、食欲は旺盛。ただ困っているのは咳で眠れないということ。

パートナーに診察の状況を聞くとそもそも体幹には触れられていないしレントゲンもとっていない、ただ咳が出ると伝えただけで肺炎の治療?喘息の治療?

ただただ残念で時間の無駄である。医者にかかった意味がないレベルだ。でもそういうクリニックでもホームページをみれば由緒ある大学の出身で医学部入学までは優秀だったのだろうねとわかる。でも結局こういう医者になってしまう。優秀さなんて患者からしてみればほんとに必要ないんだと分かる。患者にとって一番大事なのは自分の病気をきちんと診断してくれるかどうか。命と言えば大げさだけど患者である自分に(症状に)どれだけ向き合ってくれるのかが問題なのであって、咳は喘息でも起こるし、肺炎でも起こるし、風邪ひいたって起きるよねという一般論の中でしかものを考えられない医者には診てほしくないってこと。

結局は医師のコンセプトが病院を作り、そのコンセプトを実践する集団が組織として病院を作る。
風邪か肺炎か喘息で咳が出るんだからそれらの薬を全部出してりゃ医者の仕事はおしまい、そんな考えの優秀な医者が患者のお困りに対応できるわけがない。

それを踏まえるとどんな知識を持つかではない。
医者こそどうあるべきか、あり方が問われる時代だ。組織づくりのキモはあり方そのものだと思う。