コラムを書くのが久しぶりになってしまった。
今回は久々にパートナーシップについて。
普段パートナーとは距離感が大事だよねと言っていて。
コーヒーが冷めない距離感が大事で同居するのは難しいかも、と言っていましたが
5月より同居をすることに。
でもパートナーは不安がっていて
うまくいかないんじゃないか、って思っているよう。
デメリットにフォーカスすればあれもこれもデメリットに見えてくる。
それよりもどうすればうまくいくかを考えた方が手っ取り早い。
息が詰まるようならいつでも息が詰まる状態を解消するように動けば
いいのだからそのあたり、自由がある。あることに注意を向ければ
苦しくなんかない、とは思うのだけれどそれをどれだけ言ったって
注意を向けている人には伝わらないかもしれない。
多くの人は考えてから修正しようとするけれど
考えている時間がもったいない。
走り始めてから考えればいい気がしている。
二人が一つになる。でも一つのように見えて二つが別々の個体である。
これがアドラーが唱えていたパートナーシップの在り方。
彼が正しいかどうかは分からない。
けれど自分もそれ以上のパートナーシップはありえないんじゃないかと思っている。
相手がそのように考えられないかもしれないけれど。
多様性というけれど物事の考え方には多様性はあるけれど
考え方の優劣はあるものだと考えている。
自己成長を止めたくない自分はどこかアドラーが言わんとする
パートナーシップを実現したい欲求がある。
もちろん合わないと考えていて、未来実践しても
結果合わなかったとするパートナーシップかもしれない。
それでも挑戦してみたいのだ。
自分の挑戦を押し付けようという思いはない。
事実自分の価値観で過ごすだけなら二人の休日を共に過ごそうとはならない。
来週ランチに行くレストラン。パートナーが選んだお店。
野菜が美味しいと評判のお店。
自分ならきっと選ばなかっただろうパートナーの価値観で選んだお店。
そこのお店が美味しくなかったらとか満足できなかったらとか、
自分に合わないお店だったとしても
自分ではない大切な人の価値観で同じ時間を過ごすことが
新たな楽しさを生む、と考えている。
他人の価値観、特に大切な人の価値観に浸る時間は
自分にとって一つの喜びなのだ。
二人が一つに、けれど二人であり続ける道にきっと通じている。
それぞれが独立しつつ一つの塊になっているようなそんな感覚にシンクロできる日を信じて、
二人の時間を楽しみたい。それが邂逅を感じたパートナーとの過ごし方だと思う。