子供時代のいろいろな制限から学ぶ


ワイドナショーを見ていて
インスタグラムの様々な規制に関するニュースがながれていた。
SNS社会の闇を未成年に押し付けるのは良くないのできちんと規制をしていく世の流れ。
親がSNSの悪影響を断ち切るにはスマホを持たせない覚悟がいるのでは、と鈴木おさむ氏。

自分も子供時代制限があったな。
テレビはいちにち1時間まで。家族で食事をするときはチャンネル権はないので家族でテレビを見る時間も自分が見たい番組ではなくても1時間にカウントされる。祖母の部屋と居間と父の部屋にしかテレビがなかったので食事を急いで食べて1時間だけ居間に流れていない番組を見るべくテレビのある部屋にいってテレビを楽しんでいた記憶がよみがえる。

それでも寝る時間を決められていたので夜遅くのテレビ番組は見ることができなかった。
とんねるずやダウンタウンやウッチャンナンチャンの番組が見たくて見たくてたまらなかったけれど小学生だったこともあり親の言うことを守らねばならなかった。

学校では昨日のテレビ番組みた?と友達との会話で必ずでてくる話題がテレビ番組の話題。
そんな時代だ。
うちはそういう番組が見られないんだ、というとなかなか話題にも入っていけない。
仲間外れになることは無いが疎外感は子供ながらに今でも覚えているほど。

両親に、友達と話題に入っていけないのもあってテレビ番組を見せてと頼んだこともある。
その時の親の発言は『テレビ番組しか話題がないならそんな友達はいらないだろう。そもそも生き方がちがうのだから』だった。

頭のてっぺんに雷が落ちたような感覚にとらわれた。
この人(親)は一体何を言っているんだろう。友達になるかどうかは親ではなく自分が決めるし
テレビ番組が見たいという欲求が大きかったことは認めるものの、友達との話題についていきたい思いをどう考えているんだろうと怒りを通り越して唖然としてしまった。

生き方云々も誰が決めるのか、、、ということにも幼いながら怒りが湧いたのを覚えている。
生き方が違う?ってどういうこと?と訊きなおしたのも覚えていて、大きくなったら分かる、とよくわからない返答をされたのも鮮明に覚えている。

今になっても思い出すやるせない思い出だ。
心の奥底に眠っていた思いがふとしたきっかけでよみがえる。
両親とのやり取りは今はもう何年もなく、風の噂で父が入院していることをきいた。

僕は家族と話すのが苦手だ。
相手がどんな思いがあるかなんてお構いなし。自分はこう思う、だからお前もそうしろ、そうでないなら話にならない、このスタンスの会話が家族の会話だ。ここに多様性なんかない。
話し終えた時、いつも疲れ切ってしまう。会話で消耗する関係。それが自分にとって親族なのだ。

祖母の法事の時にも従兄弟からは年収を聞かれる。
医師家系の自分は親戚の中では学業でできの悪い子供だった。
それが市民病院に勤めている頃、大学病院に勤めている従兄弟に比べれば収入が良かった。

その従兄弟からすれば出来の悪い親戚が成績の良かった自分より多額の給料をもらっていることで
『出来が悪いのに、そんなに給料をもらって(笑い)』と嘲笑したかったのだろう。
これを30歳を過ぎた大人の会話で繰り広げられるのだ。

家族との地獄の会話より
優先すべきものが自分にはある。
自分を尊重してくれるひとたちはいる。
身近にいる親族でも自分をないがしろにしてくるなら繋がらなくていい。

どんな世界だろうと自分が繋がりたい人と繋がればいい。
自分を大事にしてくれる人とだけ繋がっていたい。
損得を抜きに接していたい。

中心に据えるべきは繋がり。
この人のためだったら多少損したって守りたい。
そういう人が一人でもいれば自分は幸せなんだと思う。