生きている/生かされている

2023.7月の末僕は仕事をやめることを決意した。

僕は今まで患者第一主義を貫いてきたけれど、
それを地で行けば大きな規模の病院ではなかなかうまくいかない。
しかし患者の健康にフルコミットするためにどうしたらいいか、を医療従事者は考えなければならないし組織全体で取り組むべき事案だとも思っていた。

しかし世の中は働き方改革真っ只中。職員が数百人いる規模で全員が患者ファーストでいられるような組織づくりをしている病院は一度も経験したことがない。どちらかと言えばゴリゴリの患者ファーストを貫けば組織の中ではかなり煙たがられるだろう。

自ら疎まれ役を買ってでても目的を達成するのは変数が多すぎる。コントロールできない人が多すぎて徐々に疲弊していく。自分を教育してくれた先輩たちは理想をどこかで諦めて『世の中そういうもんだよ』と知った風な言葉で何度も慰められた。

ある日ついに、もうモタナイ、、、。そう思って退職した。
思えば2023年7月。精神的にはギリギリの状態だった。
あの頃から心の平穏はいまだに訪れていない。いや振り返ってみれば焦りのない心穏やかな状態で仕事をしたことなんてあったっけ。

それでも日常は待っちゃくれない。どんどん流れていく。
心にぽっかり穴が開いたまま何かが埋まることもなくただ流れていく。
なぜ医者になったんだろう。幼いころ父は偉大だと教え込まれて育った。患者に責任を負う父の後ろ姿が格好良かった。医師の息子として生まれ何を疑うこともなく受験することになった。自分とは何かを知ることもなくただ勉強した。

医師になる動機としては不十分だったのだと思う。医学生になったときなぜ医師を目指したかを考えたことがある。患者さんを助けたい、みたいな絵にかいたようなキラキラ志望動機は何もなかった。家族の影響で中学受験をして勉強漬けの毎日。往復3時間の通学に『おれなにやってんだ?』と人生迷子になって中高時代は成績も悪く、ストレスでどんどんと太り90㎏オーバー。何をやっても続かなかった。そんな自分がいやで、何か結果が欲しいと受験勉強を頑張った。この学部にいったら未来がどうなるかなんてネットも発達していない時代。父の背中をとりあえず追ってみるかと考えてた気がする。

そんな自分だったからこそ医師になった当時、人より猛烈に研鑽しなければ患者さんに迷惑をかけるような危険な医師になってしまう、だからしっかり勉強したいと思った。今考えるとこれも『自分がどうしたい』というのではなくやっぱり不純な動機。しかしそれが功を奏し、高い医療を提供する医師像というのが指導医を見ながらではあるが確立していった。今ではカルテを見たり、紹介状を見ればだいたいの医師レベルを掴むことができるようにもなった。

職場ではいろいろと上手くいかなかった。それでもやっぱり患者さんと向き合って患者さんの病気とも向き合って自分にも向き合いながら自分がいることで自分と関わる人が豊かになるような仕事をしたい、というのが夢になっていったんだと思う。そうじゃなかったら夜中までカルテの情報集めをしたり、休日をつぶしまくって診療したりなんてしてこなかっただろう。

幸い少数の患者さんには自分の診療の情熱が伝わった瞬間があった。お礼を言われたり謝礼をポケットにねじ込まれそうになったこともあった。中には診療そのものを評価してくれる患者家族もいて大変勇気づけられた記憶がある。自分の理想が叶う瞬間もあって、その時にそうした評価をくださる方々には感謝しかない。

心にぽっかり穴の開いたまま転職後はあっという間に過ぎた。
そんな中パートナーは心の健康、体の健康を気遣ってくれる。以前より仕事が遅く終わることが多い僕は食事を作ってもらう頻度が転職してから増えた気がしている。自宅に帰ると野菜盛りだくさんのあたたかい食事が用意されていてひとのやさしさに日々触れている気がしてる。

パートナーがいたからこんなにもあたたかい気持ちがあふれてくる。
ああ。これは自分が目指していたものじゃないか。自分がいることで誰かに豊かになってほしいと思う気持ちそのものをパートナーからもらっていたのだった。自分がしたいことを自分だけが享受しているような気分になってくる。

周囲からいままでだってたくさんの厚意を受けてきたはずだ。それを自分が返すこと、自分がいたことで少しでも豊かにすごしてもらうこと、一生の目標だ。生きているようでメンタルズタボロの僕は今自分で生きているとは言えない。支えられて生かされてる。一生の目標を目指すのと同時に誰かを支えながら生きていければ。