国会議員をみてはふざけんな!という想いが沸々と湧き上がる。
身を粉にして働いても医療現場の働きにくさは研修医になってから10年以上なにも変わっていない。相変わらず開業医は大金を得て、夜間の救急で勤務医は疲弊。正月も盆もなく勤務医は働き詰めで徐々に年老いていく我々は体力ももたなくなっていく。そうすると今度は自分と同じような未熟な研修医たちに自分もそうだったからと当直を変わってもらい、今度は新たな研修医が忙殺されていく。開業医の大半は緊急の患者や未診断患者に向き合わず総合病院に丸投げ。土日祝日と夜間はしっかり休み、ホームページには地域医療に貢献している感を出してお金集めに余念がない。そんなこんなで勤務医の2倍以上の給与を貪り責任のほとんどは地域の総合病院にお世話になりますという一文で尻の奥まで拭いてもらう。
誰とは言わない。が実情だろう。いやいやその指摘は的外れで根も葉もない話だと言える医者はいまい。
真面目にやっていることで患者さんに喜ばれることがある。
しかし患者さんに喜ばれるからやっているのではなく、医師としてそうありたいからだけだ。
しかし責任と責任の対価とワークライフバランスがまったく合ってない。
働きすぎて体を壊したら数週~数か月で収入がなくなる。時間を切り売りしているという意味で言えばパートタイマーと変わらないのが勤務医である。
国会議員の裏金ニュースも今の医療も何十年と変わっていない。給料が30年上がらない国で事なかれ主義、人の顔色を気にして、損得を考えて、そんな社会が日本の大部分なのだと思う。
一部が甘い汁を吸う変わりに大勢が苦しむ構図はどの業界にもあるのだろう。
甘い汁を吸っているヤツを片っ端から張り手をくらわしてやりたい。さぞ気持ちがいいだろう。
しかし、気持ちの一部分に自分も甘い汁が吸いたいんじゃないか。
だからこんなにも腹立たしいのではないか。
そう思う自分がいる。
もし自分も甘い汁を吸える立場になったらその環境を棄てることができるだろうか。
これこそが今日本人全体に問われているんじゃないだろうか。
自分は不満の多すぎる急性期医療を離れた。
そして楽して自由診療の世界に足を踏み入れた。
違法なことはしていないけれど患者さんに向き合ってその対価を得るという行為に戻ろうと決めた。責任を総合病院に擦り付けることも、脱税まがいの裏金国会議員をうらやむこともせず、誰かを断じることから離れて淡々と生きていきたい。淡々と社会に貢献していきたい。雑音に耳を貸してしまえばその雑音が身を染めてしまいそうだから。
何のために生をうけたか。
自分は目の前の(これ)をするために生まれてきたのだろうか。
それより
自分はこうありたい。こう生きたい。そして世界と繋がっていたい。
ゆたかさはここにあった。