君のあたまを洗う理由

なんでわたしのあたまを洗ってくれるの?

ここのところお風呂に入るとき、
パートナーの頭を毎日ごしごし洗うのが日課になっていた。

一日の終わりに汗を流すお風呂タイムは自分にとっての日課以上にちょっとご褒美めいた時間にもなっていた。

日中は医療従事者で毎日患者さんたちと関わりをもつ。
総合病院で働いていたころはただただ忙殺されて誰の役に立っているかを実感もできず
自宅は身体を休めに帰るためだけの空間だった。

大きく変わったのは
総合病院での勤務とは決別し
街の小さなクリニックで働くようになってから。

夜遅くまで働くこともなく
緩やかな時間が流れることも割と増えた。
精神的にはだいぶ楽に日々を過ごせるようになった。

そんな日々を過ごしてすこしたったころ、このパートナーのひとことをもらった。
仕事で関りがある患者さんは社会。
社会に貢献する日常とは別に誰かに繋がっていたいと思う。

社会と関わっているのは幸せなことだけど
もっと身近に関りを持っていると実感したい。命の使い方の問題だ。

Will、Can、Must.自分の仕事は今どれなんだろう。
Mustから多少解放されているかもしれない。年齢を重ね医療に長年従事してきた経験から
Mustが少しずつ減っていきCanが少しずつ増えてきた。
だから日々のストレスがグッとへった。
でもここ数か月過ごしてみて医療という分野にWill(希望や在りたい姿)があるだろうか。

もしあるとすれば自分でゼロ→1を立ち上げて
自分のクリニックを持つこと。そうするとおそらくは自分が届けたい医療を届けることができるかもしれない。そう思っていたけれど経済的な自由を手に入れたいだけなのかもしれない。
そして今の職場は自分が届けようとしている医療よりももっと患者さんに寄り添った医療なのかもしれないとも思うようになってきた。見極めにはもう少し時間がかかるかもしれない。

自分の働く職場で命を使う覚悟が揺らいでいる。
できることは増えたけれど、できることが増えたからと言ってそれがやりたいことかどうかもよくわからない。

40歳すぎてなお何に命を燃やしきるかに迷いがあることが恥ずかしい。
そんな暮らしで心地よさを贈り、心地よさを受け取ってもらえる関係がなんともうれしい。
毎日5分~10分のシャンプーヘッドスパをパートナーに贈る。

シャカシャカシャカシャカと頭を洗いながら
今日あった出来事を話す。
心地よさを贈りながら心地よさを受け取っているのは自分なのかもしれない。
あなたの頭を洗うのは喜ぶあなたを感じられるから。